勝手に武士(もののふ)通信

このコーナーでは、某先生が発信されている「武士道サムライ精神の言葉」をご紹介させて頂きます。

 

37)剣道と気品 持田盛二

 

強いことも重要なことではあるが、気品も剣道修行上の大切な一目標になろうかと思う。

気品は正しい心、澄んだ気から自然に発する気高さであり、真剣になっている時ほど気高いものはない。端正も気品を養う大切な要素の一つであり、心が端正、形が端正でなければ気品は伴わない。勝敗や私心邪念に捉われては気品は伴わない。着装、姿勢や動作も正しくなければ、品は添わない。剣道は礼に始まり礼に終わると云われるが、礼儀を離れては気品はない。心も形も共に正しく、互いに相助けるものでなければ、真に正しい立派な剣道、気品ある剣道となることはないのである。「心正しければ、剣また正し」と云うのも、この意味に他ならない。気品を養う上においても、相手を呑む「気位」ということも考えられる。

気品はすぐに得られるものではない。絶えず心を練り、気を養い、心と技が進むに従って、自然に備わるものなのである。

 

 

 

36)五輪書 宮本武蔵

 

どんな物事についても、拍子があるものであるが、特に兵法では拍子の鍛錬が大事である。能の舞や楽人の音楽に合うように、武芸の道にも、弓/鉄砲/乗馬にも、拍子・調子があり、乱すことがあってはならない。

また目に見えないものにも拍子があり、立身出世/落ちぶれたとき、息の合う/合わない、商業では財産家になる/失うなど、それぞれの道によって拍子の違いがあるものである。

栄える拍子/衰える拍子を見分け、合う拍子を知り、次に合わない拍子を知り、わきまえ、大小・遅速の中で拍子を知るのが大事である。

合う時ばかりでなく、合わない時も知り対応する、ハッとした気付きになりました。

 

35)仕掛け 上から乗る、上下左右の攻めで相手を誘発する

 

仕掛けるためには充実した構えが大切であり、適正な姿勢(左の踵から左腰、左肩のラインが崩れていない)を意識することで、相手が来ればすぐに対応することが可能になり、相手の攻めに対して簡単に動じない「相手を攻める・崩す」構えに繋がっていきます。そして、相手の動きを読むために、上下左右の攻めを用いながら、相手の反応を見て、特徴をつかむことを大切にします。

「乗る」に関しては、竹刀の身幅分程度を相手の剣に乗せる感覚を大事にします。間合が徐々に詰まり、心を崩されないようにすること、勝負をして相手が勝ればそれは勉強の機会と考えれば良いことです。そして、打った後は左足の引き付けを素早く行う事が重要になります。

打ちたくなったら打つのではなく、一本一本、相手との駆け引き、自分が崩れない、相手を引き出して打つことを意識して臨みたいと思います。

 

33)ためて打て

 

一方通行の剣道、単調な攻めでは相手に響かない。

一流選手が決めた技には必ず溜めがあり、「気」「機」「呼吸」などがあるが、いずれも打突前にしっかりと溜めをつくり、相手を崩し、打突の機会を見出している。

溜めを作るとは打ち数を少なくする事だけではなく、相手と呼吸をはかりながら、常に先をかけ、「つくぞ」「うつぞ」という気持ちを伝えながら、攻め続ける事が大切である。但し、懸待一致の教えの通り、しかけ技と応じ技を学び、攻め方、打ち方の工夫・研究が大切である。

奥が深く、だからこそ挑戦し続ける楽しさを感じます。

 

 

32)「待つ」ことを考え、実践する

 

「育てる」のではなく「待つ」。それぞれのリズムや成長熟成の時間を経て、よりよく変容していきます。子供の成長を期待せず、時間をたっぷりかけて寄り添い、見守ることも大切です。

のびのびと取り組めるように、向き合っていきたいと思います。

 

31)技の稽古はすべて審判の旗が上がる打突をめざす

 

素振り、切り返し、打ち込みなど、すべてが有効打突の条件を満たすように行う事が大事であり、そこを意識しないと単なる運動になってしまいます。

限られた時間での稽古、一本一本集中して磨いていきたいと思います。

 

 

30)課題は一点に絞って徹底的に追求すると解決しやすい

 

考える事は大事ですが、「百錬自得」という教えがあるように、まずは実践して、そこから修正点を見出すことが大切です。そして課題はいくつも追求するのではなく、一点に絞って解決していくということで意識も高められます。日々の稽古で何をしたいのかしっかり意識して、取り組みの中で自分に合った方法を見付け出すことが大切です。

焦らず、一つひとつの積み重ねていきたいと思います。

 

29)稽古の準備

 

稽古とは、古「いにしえ」を稽「かんがえる」という意味があり、室町時代に鍛錬や錬磨という困難な道を克服して学習するという意味になり、さらに人間的な修行という意味に変わってきました。

稽古は質と量の掛け算であり、質を上げるには稽古のポイントを考える事が大事です。1日1回、剣道と向き合う時間を確保することで、稽古前に理想のイメージを作り、実際の稽古でそれに向かって行うようにすれば修正点が明確になります。しかるべき指導者に見てもらう事で自分では気付かなかった決定が見えてきます。創意工夫が楽しさでもあり、上達の秘訣ですね。日々考えて稽古に臨みたいと思います。

 

28)左右面の本数に決まりなし。

  元立ちが判断した警視庁の切り返し。

 

切り返しは、正面打ちと連続左右面内を組み合わせた剣道の基本動作を総合的に修得する稽古法です。現在、前進4本後退5本としているため機械的に行ってしまいがちですが、本来は元立ちと修技者が合気をつくり、性格に行うことを心掛ける事が大切です。元立ち主導が基本であり、意図を感じ取りながら行いたいと思います。

 

27)「いい反省」と「悪い反省」

 

後でクヨクヨする事と反省する事は違います。良く反省する人は失敗からも教訓を引き出し、これを今後に活かそうとします。何事においても反省することは大切な事です。時にはクヨクヨ思い悩む事もあるでしょう。しかし、そうした思いを引きずるのはよくありません。

うまくいかなかった点があるとすれば「やり直し」をすればよいのです。やり直しとは、もう一度、出発点からやり直すことですが、それを「戻る」というようには考えないようにします。前とそっくり同じ事を繰り返すのなら、それは「戻る」という事です。しかし、やり直すという事は、前の時とは違った工夫なり努力があるはずです。だからやり直しは、後退ではなく、前進の一種であり、新しい一歩を踏み出す事だと考えてやっていく事が大切だと思います。

柳生宗矩の有名な言葉に「刀剣短くば一歩進めて長くすべし」というのがあります。至極当たり前の分かりきった事のように思えますが、これが実に大変なことです。人が一度読んで理解できるところをできないなら、二度でも三度でも読めばいいのです。足が遅いのなら、人よりも早く出発すれば良いのです。人のしない努力をする事になるのですから、踏み込みが深くなって、むしろ有利になるかも知れません。

「いい反省」をしてうまくいかなかった事は「やり直し」をしてみましょう。「やり直し」は「後戻り」ではありません。

 

26)なんでも努力

 

努力する才能は誰もが持っています。才能とは10年、20年と、同じ姿勢で同じ情熱を傾けられる事です。剣道に限らず、勉学や趣味に精通する、習い事の上達をはかるなど、何でも努力こそ大切です。今、この時から始めましょう。

 

25)日々是新(ひびこれあらた)

 

心があらたまれば、見るもの聞くものが新しく感じられます。毎日が新しく、毎日が門出です。そのためには志を立てましょう。志あるところに道は必ず開けるのです。

日々目標を意識して、貫きたいと思います。

 

24)人間のやったことは、人間がまだやれることの100分の1にすぎない 豊田佐吉

 

日本の産業革命を起こした佐吉ですが、まだやれることの100分の1しかやっていないと語っています。

目標/課題を常に意識したいと思います。

 

23)誠実である

 

加藤清正は文禄4年の京都大地震が起こった際、謹慎の身でありながら秀吉の警護にあたった。その誠実な働きに秀吉も大いに喜び、怒りもとけ、再び重用されるようになった。

駆け引きや術策だけに頼らず、誠意をもって動くことが一番大事という事である。

誠実さを念頭において日々過ごしたいと思います。

 

22)武士道はどのように教えられたか

 

会津藩規範

一、年長者のいうことに、そむいてはなりませぬ。

二、年長者にはお辞儀をせねばなりませぬ。

三、うそをいってはなりませぬ。

四、卑怯な振る舞いをしてはなりませぬ。

五、弱い者をいじめてはなりませぬ。

六、戸外で物を食べてはなりませぬ。

七、戸外で女の人と言葉を交えてはなりませぬ。

八、ならぬことはならぬものです。

卑怯なことをしてはならない。いかに法に触れないからといって

、世間から非難されれば言い訳はできなかったのです。

ダメなものはダメ、子供にはっきりと伝えたいと思います。

 

21)基本の繰り返しにマンネリはない

 

剣道は基本をどこまで身につけ、どこまで徹底できるかが大きな差になってきます。技術はやったからといってすぐに身につくものではありません。 基本にマンネリはありません。マンネリにしてしまうのは自らの心です。

基礎、基本を大切に、アドバイスされた事、気をつける事を意識して、日々臨みたいと思います。

 

20)山本常朝(節義の心得)1659~1719

「義よりも上に道は有る也」

 

武士にとって義を通すことは大切な事であるが、不義を嫌うあまり、義侠を貫く事ばかりに偏り過ぎるとかえって誤りが多くなる。実は正義のもっと上には「道」というものがあり、その道を理解できる者は中々いないからである。

修行の道に終わりが無いという事、昨日の自分を越えられるように頑張りたいと思います。

 

19)坂本龍馬(将の心得)1835~1867

「武事は十中八九まで自らこれを行い、

 残り一、二を他に譲り以て功を成さしむべし」

 

大政奉還は、前土佐藩主山内容堂と後藤象二郎によって将軍徳川慶喜に建白されたとされているが、裏側では龍馬が獅子奮迅の働きをしており、「十中八九まで自分で行い、残り一、二を誰かに譲って成功させる」の言葉通り、表に出ようとはしなかった。

仕事や私生活でも心掛けたいと思いました。

 

18)大道寺友山(戦いの心得)1639~1730

「武士たらん者は、行住坐臥二六時中、

 勝負の気を忘れずにおくを以て肝要とは仕るにて候」

 

武士とは常に戦闘体勢の準備をしておくこと。

そして立ち居振る舞いから、言葉において決して軽々しい印象を与えてはならず、重厚な威圧感を醸し出す事。しかし単に相手を威嚇する仕草は低いとみられ、厳かに自分の実力を表さねばならないとされた。

所作から気を抜かないように心掛けたいと思います。

 

17)高杉晋作(節義の心得)1839~1867

「直言直行、傍若無人、身命を軽んずるの気魄有ればこそ、国のため深謀遠慮の忠も尽くさるべし」

 

「やることは直言直行で傍若無人。そんな僕に疑惑を持つのは無理はない。しかし、いざというときには国のため忠義のために、わが身を投げ打つ気魄がなければ、どうして国のために先を見越して考え、策をめぐらせるという忠義を尽くす事が出来るのだ」獄中手記で冒頭に記した文章。人の話を聞き入れて妥協するのが大嫌いで自分の考えを押し通しがち、やると決めたことは何があっても実行するという性格だったという。

激動の時代、愛国心の強さを感じました。

 

16)北条氏綱(忠義の心得)1486~1541

「大将によらず、諸侍までも義を専ら守るべし。義に違ひては、仮令一国二国切取るとも、後代の恥辱如何に候」

 

北条早雲から家督を譲り受けた氏綱が、死の直前に嫡子である氏康に送った遺訓の最初の言葉。武士であるかぎり大将に限らず義を守る事が大事であり、もし義に背くならば、たとえ一国二国を従えたとしても、後代まで恥ずかしい汚名を受ける事になる、という意味である。義を守って滅亡するならば決して後ろ指されるような事は無い。義を守らず名利を受けたものには必ず天罰が下る。また驕りに気をつけよ、自分の分限を越えてまで自分を大きく見せようとすると失敗するので、質素実直に暮らすのが良い。ただし合戦に勝ったとしても、驕りが出ないようにするべきであり、勝って兜の緒を締めよ、という言葉が続いている。

義を大切にする武士道の精神を感じます。

 

15)武田信玄(戦いの心得)1521~1573

「戦は五分の勝を持って上となし、七分を中とし、十を下とす」

 

五分の勝利であれば次の戦への励みとなり、戦略・戦術にも工夫しようという意欲が出るが、七分では「このくらいでよいか」という怠惰な気持ちが湧き、完璧に勝ってしまえば必ずおごりが出る。戦は強すぎるほどに強くなくてよいし、又深追いせず、見極めが肝心という考え方である。

本日の稽古でも、徹底的に叩きのめされました・・・打たれて感謝。

 

14)勝海舟(勝の心得)1823~1899

「一家不和を生ずれば一家滅亡す。

 一国不和を生ずれば其国滅亡すべし。」

 

一家の中にわだかまりがあれば家族としての機能がなくなるように、国家にも徳川家臣団と朝廷派というような対立があれば、近代的な国家運営は出来ない、という意味である。

当時では考えられないような歯に衣着せぬ発言に、芯の強さを感じます。

 

13)大道寺友山(忠義の心得)1639~1730

「武士たらんものは、正月元日の朝雑煮を祝ふとて、箸を取初るより其年の大晦日の夕べに至る迄、日々夜々死を常に心にあつるを以って本意の第一とは仕るにて候」

 

武士たる者は正月の元旦に雑煮を食べる前から、大晦日の暮れに至るまで、つねに死ということを心にとめておくことが大事である、と「武士初心集」の冒頭で述べている。

常に死を覚悟している武士は「忠」「孝」の道に叶っており、逆に長生きできるという逆説なのである。そして、友山によれば武士道において「義」が中核であり、本質であるとしている。

義を重んじて過ごしていきたいと思います。

 

12)藤田東湖(節義の心得)1806~1855

「酷暑は夏の中庸、厳寒は冬の中庸」

 

中途半端を嫌う人物であり、中庸は真ん中ではなく物事の本質と解釈。夏は酷暑であるのが中庸、冬は厳寒であるのが中庸であり、中庸はいつも一定ではない、その物事の本質を究める事が中庸たることに繋がると言っている。

中庸とは何か、考えさせられます。

 

11)松下幸之助(「心の段位」はこうして高める)1894~1989

「碁や将棋に段位があるように、人間の心にも段位があると私は思っている。碁や将棋の世界で、初心者が段位の上の人には太刀打ちできないように、心の段位が上の人に対した時に、手も足も出ない感じになることがある。

それは地位や年齢には必ずしも関係しないが、やはり長い年月をかけて修練を積んだ心にはそれだけのものが備わっている。そうした心には、厳しい人生の対局を積み重ねる事で作り上げられる。

心の持ち方いかんで、対局の場面は至るところにある。毎日毎日を生きることが、人生の盤面に対することだ。

「一手お願いします」と言うほどの心がけで、真剣にそれに対すると、向上できる機会は限りなく訪れるものである。」

一つひとつの棋譜の積み重ねが、その人の人生の大きな棋譜となる。一手として、いい加減な棋譜を残すべきではない。

日々の稽古を大事に積み重ねていきたいと思います。

 

10)上杉謙信(戦いの心得)1530~1578

「争うべきは弓箭(ゆみや)にあり、米・塩にあらず」

 

「敵に塩を送る」有名な故事がある。計5回行われた盟友・武田信玄との川中島の合戦の最中、今川氏と北条氏から、甲州攻略として塩の交通をせき止めるよう協力の依頼があったが、謙信は毅然としてこれを断り、それまでと同じ価格で甲州との塩の交易を行ったとの事。

武士道精神とは何か、改めて考えさせられます。

 

9)河井継之助(将の心得)1827~1868

「天下になくてはならぬ人になるか、あってはならぬ人となれ、沈香もたけ屁もこけ。牛羊となって人の血や肉に化してしまうか、豺狼となって人間の血や肉をくらいつくすかどちらかとなれ」

 

世の中に必要な人になるのでなければ、いっそ害のある人になるぐらいの気持ちで、あるいは人の血肉になるか、人を自分の血肉にするほどの意気込みで事をなせ。

一か八かの極端な考え方であるが、幕末の混乱期に改革を進めるには、失敗や非常識を恐れず行動する事が必要だと伝えたかったのだろう。

覚悟を感じます。

 

8)山本常朝(節義の心得)1659~1719

「武士道といふは死ぬ事と見付けたり」

田代陣基とともに著述した「葉隠」の冒頭に書かれており、武士道の神髄を表したものとされている。

「武士は生と死どちらかを選ぶ場合は死を選ぶ、主君のために自らの命を捧げる覚悟が出来ていなければならない」という意味合いだが、続けて「生に執着せず、死を恐れず、ただあるがままに自然態で行動することによって武士の本分を全うすることができ、そして一生無事に生き抜くことが出来る」としている。

武士道とは死の道徳と捉えられがちだが、理想的な生を如何に実現するかを追求した、生への哲学の箴言であったといえる。

普段から自然体を心掛けたいと思います。

 

7)加藤清正(戦いの心得)1562~1611

「屍を戦場に曝すとも褥の上にて死なんとは思い設けず候」

屍を戦場にさらす事はあっても、布団の上で死を迎えようとは思っていない。花押が複雑なため、遺言状を作る際に時間がかかって大変では、と揶揄した者への返答。当時とは時代が違いますが、他人から何を言われてもしっかり答えられる信念が大事だと思いました。

 

6)長曾我部元親(節義の心得)1539~1599

「喧嘩口論、堅く停止の事。善悪手初め、慎みて堪忍すべし、この旨を背き、互いに勝負に及ばば、理非に寄らず双方成敗すべし。もし一方手出し仕るにおいては、如何様の理たりといえども、その者を罪科に行うべき事」

喧嘩両成敗。喧嘩や口論は厳しく禁止する。事の善悪をあれこれ言う前にじっと我慢せよ。この命令に背いて勝負するようなことがあれば、理由の如何に関わりなく両方とも処罰する。どちらか一方が暴力に及んだ場合は、どのような理由があろうともその人間を処罰する事とする。

分かりやすいルールですね。肝に銘じたいと思います。

 

5)山本常朝(忠義の心得)1659~1719

「知恵、利発ほどきたなき物はなし」

知識の量をひけらかしたりせず、真に物の道理をわきまえる事が出来る人物が尊ばれる。

武士道の精神は現代にも応用できる社会的マナーの集大成ですね。

 

4)織田信長(戦いの心得)1534~1582

「人は心と気を動かすを以ってよしとする也」

人に言われるまま何の気働きもない動き方では、たいした活躍は出来ない。相手が何を求めているのかを察知して動く事が大事である。

普段から感度を高めたいと思います。

 

3)吉田松陰(節義の心得)1830~1859

「至誠にして動かざるものは未だこれあらざる也」

真心(誠)を尽くせば、人の心は必ず動く。

信念の強さを感じます。

 

2)西郷隆盛(節義の心得)1827~1877

「過ちを改むるに、自ら誤ったとさへ思ひ付かば、それにて善し。その事をば棄て顧みず、直に一歩踏み出すべし。

過ちを悔しく思ひ、取繕はんとて心配するは、例えば茶碗を割り、その欠けを集め合わせ見るも同じにて、詮もなきこと。」

過去を振り返らず人を恨んだりせずに、前向きでいよう。

「敬天愛人(天を敬い人を愛す)」を座右の銘とした西郷どん、忠義の対象を主君や国家ではなくもっと高い天としたところに、強い道徳心を感じますね。

 

1)柳生宗矩(戦いの心得)1571~1646

「兵法は人を斬るとばかり思うは僻事也。

人を斬るにはあらず、悪をころす也。

一人の悪をころして万人を活かす謀也。」

兵法は勝つためではなく、謀(方法、手段、作戦)のために学ぶのであり、悪を殺して万人を活かす手段である。

柳生家の兵法は「活人の剣」、武道・武士道の奥深さを感じますね。